商業主義と作品

ふと、赤松健作品集1:「大衆娯楽」赤松健論より)というものを見た。
コミックの「ラブひな」「魔法先生ネギま!」等の著者である、赤松健 氏について、過去様々なメディアでの発言から、その作家性を見ていった文章である。
ここで書かれているのが、氏の「商業主義」、言い換えると「エンターテインメント主義」について。この辺を自ら強く標榜するというのは、ライトノベル界で言えばベテランのあたりで大塚英志 氏、最近の人だと冲方丁 氏が該当するかもしれない。

確かに、商業主義、つまり「エンターテインメントに徹する」ことというのは、作品を書く上で常につきまとう問題なのかも知れない。が、私なんかはあまり融通が利かなく、いわゆる「アンテナ」の鈍い人間なので、この辺は苦手とするところだったりする。

同人でやっていても、読んでくれる人がいることが重要なわけで。けれども、私のように自ら望んでマイナーな場所にいるというのは、それ自体がそのような主義とは反しているということにもなるわけで。
例によって、難しいことですわ。

# まぁ、私も生業では結構「この辺、使う人としてはどうなんだろう」
# という検討をする場面は多いので、プロという部分がそうさせる
# ということもあるのかもしれない。

↓同人がらみで、もう少し突っ込んだネタは追記で。すこし嫌な話なので、覚悟した人だけ読んで(苦笑)

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引用の引用になってしまいますが。


■【コミケの創作系同人について】

──創作はやらなかったんですね。
「やりませんでしたね。同人誌の創作って、あれはねえ…よくないですよ、ハマると(笑)。プロになれないです」
──なぜでしょうか?
「描きたいものとか努力とか夢とか、そっち側に行くと商業誌でやる必要がなくなってくるんですよ。同人誌で自分が描きたいものを描いていると、商業誌で描くときに編集者から『オモシロクないから直して』って言われても『え? オモシロイですよ』とかって言っちゃう(笑)。それじゃダメでしょ。読者は読んでくれないから」

(『ゲームラボ』2003年1月号)

引用元:赤松健作品集1:「大衆娯楽」
あいたたたた……(痛)

これ、同人同士でも、パロディと創作の対立軸では常に出てくる話の一つではあって……。
下手すると、このことで互いが互いを軽蔑してしまう。
どちらの言い分もわからないわけじゃない、のだが……

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