徒然#85

ちょっと変なことしてみた。
追記部分に、兼好法師の「徒然草」第八十五段を超フィーリング訳で。

辞書もろくに引かずに適当に訳したうえに、フィーリングで色々書き加えたりしてるので、原型を殆どとどめていない。校正もしてないから誤字だらけかも。
そういうのに耐えられない人は見ない方が良いかも……
原文は、「徒然草 八十五段」で検索すればゴロゴロ出てきます。まともな訳も出てきます(笑)

さておき、この話。
まぁ、兼好法師に限らず、いろいろな人やことわざで言い尽くされてるんだけど、
それでも人はなかなか改まらない。
だから、何度でも言われ続けるんでしょう。

今の時代でよく使われる(原義からはずれた意味の)「偽善」だって、やる方がやらないよりずっとまし。
何でもかんでも「偽善者」ってレッテルを貼って粋がる方がよっぽどダメだと思うんだよね……

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人は得てして素直じゃないもんだから、嘘をついちゃったりもするわけで。でも、本気で素直で正直な人もいることもあるんだよね。こっちは素直じゃないから、そういう人を羨ましがってしまうのもよくあること。

だけど、きわめてろくでもない奴――どっかの用語で言えばDQNとか厨とかっていうような――ってのは、そういう人のことをなぜか逆恨みするんだよね。「どうせ裏であくどいこと考えてんだろ、この偽善者」ってな感じで。いくら自分と考え方が違うからって、こういう事を言い放つようだから厨なんだよな。んでもって、こういう奴ほど、自分が変だって気づかないし、改めようともしないの。

厨の真似して騒げばそれは厨と同じ。
DQNの真似すればそれはDQNと同じ。

逆に、速い馬のまねをしようとする馬は速い馬になれるし、
ちゃんとした人を真似てちゃんとしようとすれば、それはちゃんとした人の一員ってことさね。

今のところうわべだけでも、形だけでも、やらないよりはずっと偉いよ?

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